最近、どう?

日々、思ったことなど。

HPVワクチンと子宮頸がんと性行動と

HPVワクチン接種を勧奨するニュースが報じられた。

www3.nhk.or.jp

海外でHPVワクチン接種が広がり、子宮頸がんが減少したというニュースも報じられているので、日本でもHPVワクチン接種が進むのは良かったと思う。

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/hpvv-cervical-cancer

男性にもHPVワクチン接種が公費接種になって、HPVが起こす病気の予防が進んで欲しい。

HPVワクチン 男性接種を厚生労働相が承認

 

HPVワクチン接種勧奨のニュースをラジオで流れたとき、ツイッターで番組のタイムラインを見ていたら、このようなツイートを見かけた。

ツイートしたアカウントとはその後やりとりして、わたしが問題だと指摘した点について意思疎通したので、燃やす意図はない。引用にせず、大意を記す。

「国は性教育を後退させたままにしたいが、女性は性交開始年齢が早いから、女性にはHPVワクチン接種して子宮頸がんを減らそうとしている。HPVワクチン接種勧奨だけで無く、性教育をもっと充実させるべきだ。」

 

内田春菊『わたしたちは繁殖している』に「子宮頸がんを発症する女性は性行動が活発だと昔は揶揄された」という一コマがあったのを思い出した。

 

子宮頸がんを予防するためには、HPVワクチンを性交を開始する年齢の前に接種するのは間違いない。子宮頸がんはHPV(ヒトパピローマウイルス)の持続感染によって発症するからだ。

しかし、子宮頸がんと女性の性交開始年齢や性行動の多寡は、直接関係は無いとされている。

https://ksm.tokyo-med.ac.jp/syoukai/shitei/gan/chishiki/chishiki3.html

 

日本でHPVワクチンの定期接種が始まったが接種勧奨が止まったのは2013年で、確かに前年の2012年12月に第二次安倍政権が発足した。

下の記事にも指摘されている。

「ある政府関係者は「自民党内の保守的なグループが、HPVが性行為を通じて感染することから接種が『性の乱れ』につながると長く抵抗していた」と背景を明かし」

www.tokyo-np.co.jp

 

日本では子宮頸がんを発症する人が増加している。

http://www.midorii-clinic.jp/img/20101224_02.pdf

しかし、子宮頸がんの発症と性行動の多寡が関連があるかのような議論は、プライバシーに踏み込む事になってしまう。

子宮頸がんで苦しむ人をリスクの高い行動をとった結果だという、偏見の目にさらす事になってしまうのではないか。

 

性教育の充実には、全く異論は無い。

しかし、HPVワクチン接種とは別の議論にするべきではないかと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国会論戦・珍プレー好プレー臨時国会2020閉幕編を聞いて

12月18日、TBSラジオ荻上チキ セッション」で特集「国会論戦・珍プレー好プレー臨時国会2020閉幕編」を聞いた。

これは直近の国会音声から珍プレー好プレーを紹介する恒例企画で、普段、政治のニュースはテレビで接するくらいという方でも興味深く国会論戦を聞ける。ポッドキャストなどもあるので是非、聞いてみて欲しい。

www.tbsradio.jp

その中で、れいわ新選組の船後靖彦参議院議員の質問が取り上げられていた。

内容は障害者が高校入学に当たって、障害者を受け入れる基準は自治体に任されており、受け入れのガイドライン文科省で作って欲しいという趣旨だった。

 

障害のある生徒の受け入れは今、高校ではどのように受け入れられているのだろう?

うちの子が高校に入学した時の事を思い出した。

 

もう10年ほど前の話だ。ブログに書いてしまっても差し障りは無いと思う。

 

うちの子は公立の中学校に通っていた時に不登校となった。

その後、中学校の多くの先生や地域の教育相談センター、民間の療育の協力を得てうちの子は少しずつ中学校に通えるようになり、近所の公立高校を受験し、合格した。

 

高校の入学時に「学校に伝えておきたい事」として子供のパーソナルなデータを記入する用紙が渡された。そこにはうちの子が中学校の時に児童精神科で発達障害の診断を受けたことをわたしは書いた。

入学式が終わって帰宅してすぐ、高校の担任の先生から電話がかかってきた。

詳しい事を聞きたいと言う事だった。

このレスポンスの早さにわたしは少し安心した。高校の先生とできるだけ早くうちの子の状況を共有したかったからだ。

早速その日の夕方に面談という事になり、わたしは一人で高校に出向いた。

 

高校に着いて通されたのは、大会議室だった。

ソファで膝をつき合わせて個人面談をするような小さな部屋でお話しするのかと思っていたわたしは、面食らった。

わたしが着席するとすぐにその部屋に入ってきたのは、担任の先生、副担任の先生、学年主任の先生、教頭先生、副校長先生、養護の先生の計6名だった。

圧迫面接。そう思ってしまった。

対するわたしは一人。

仕方ない、ここはわたしが頑張らないと、うちの子はせっかくこの高校の入試に合格したのに…。

 

かいつまんで、中学での不登校の状況や人付き合いが苦手な事や、それでも療育を続け中学校の先生の力添えで成績の資料を取りそろえ、この高校の入試に合格した事を説明した。

わたしは色々な質問をされ説明をしたはずだが、よく覚えていない。

出席していた先生方の浮かない表情はよく思い出せる。

はっきり覚えているのは、副校長先生の悲鳴のようなこの一言だ。

発達障害が原因で、いじめが起こったらどうするんですか!?」

 

そういった事を起こさないようにするのが先生の役割なのではないか、先生の教えてきた高校生には障害のある生徒へいじめがある事を暗示している。今、思い返せばここは怒っても良い場面だったのではないかと、少し後悔している。

 

しかしおそらく現場は、「障害を持った生徒が入ってきてしまった」という困惑でいっぱいだったのだろう。障害のある生徒が入ってくるのは全く想定していなかったに違いない。それは充分に見て取れた。

それでもわたしにしてみれば、うちの子が中学校でどのように過ごしたかのデータは全て高校に開示している。内申点は無いに等しい、出席日数は適応指導教室や通級教室に行った日数の合算。

そういう子だと分かって、それでも合格を出してくれたのだ。その高校ではうちの子を引き受ける事ができると、誰かが判断したはずだ。

 

それにわたしは当時、既に知っていた。その高校では入試の時の校長先生、副校長先生、教頭先生は異動になり、春からは新しい先生が着任していた事を。

その時その会議室にいた先生方が入試の合否を判定していたのなら、うちの子はこの高校に合格していなかったのかもしれない。

しかしいくら異動されたとはいえ、この高校ではうちの子を受け入れられると判断したのだ。その一点だけがこの面談でわたしの手にあるカードだった。

「調査書や入試、面接を経てうちの子は、この学校で受け入れていただけると判断していただきました。そういった事は起こらないとお考えの事だと思います。何かあったら、わたしは家にいますので直ぐに迎えに来ます。わたしが充分にサポートします。」

 

味方になってくださったのは、養護の先生だった。

「そういう生徒さんは時々お見かけします。何かあったら保健室で休んでください。どうしても無理なようでしたら連絡しますので、お迎えに来ていただければ。」

発達障害について知識をお持ちで、発達障害のある子にも接した事はあると発言してくださった。お若い女性の先生で、この場に居並ぶどの先生よりも新しい知識へのアップデートが早いと感じた。

 

結論から言ってしまえば、うちの子はこの高校で勉強し、学校行事に参加し、部活や委員会もこなすという多忙な三年間を過ごし卒業した。一般入試で大学を受験し、現役で合格することもできた。

このように書いてしまえば、うちの子の通った高校は障害のある生徒の受け入れができた高校といえるのかもしれない。本人も高校時代は辛かったと言っているが、わたしも随分サポートしたし、学校でも先生方は細かな配慮をしてくださっていた。

 

しかし、あの入学式当日の面談で先生方に受け入れを拒否されていたら、うちの子はどうなっていたのだろう…。もしくは、わたしが病気などでうちの子の高校生活をバックアップできなかったら?わたしが自分の仕事への執着を捨てられなかったら?

 

今は少しは変わったのだろうか?

特別な支援が必要な障害のある生徒の進路はまず、養護学校。または障害への支援ができるという看板のある私立高校なのではないだろうか。

そもそもうちの子が公立高校を進路の選択肢にできたのは、中学校の特別支援級で担任をしてくださった先生が「(特別支援級に在籍しても)公立高校だって行けるよ」と、事も無げに仰ってくださった、その一言のおかげだった。

 

船後議員の国会質問は、その一言を思い出したのだ。

冒頭に取り上げたれいわ新選組の船後議員の質問では、公立高校の定員内不合格の例を指摘し、定員割れをしている高校が障害のある子供の入学を拒否しているという事例を挙げた。それに対し萩生田文科大臣は「障害のある生徒が障害のみを理由に入学を拒否される事はあってはならない」と答弁した。

障害と言っても様々で、だからこそ普通高校で過ごしてみたいと思う生徒さんやその親御さんも沢山いるだろう。

国会の質問や答弁はそういう子供たちや親御さんにとっても、時に希望をもたらすものとなってほしい。